栗品種のはなし その3 筑波・銀寄

丹波栗 栽培日記



品種名: 筑波


押しも押されもせぬ日本栗を代表する品種。日本で栽培される栗の約3分の1は筑波だと言います。

昭和24年に農業技術研究所園芸部で育成された 岸根×芳養玉の交雑実生。別名、くり農林3号。韓国にも戦後多く輸出・導入されて、彼の地の主力品種を形成する基となっているようです。


収量が多く安定的で、肉質粉質、甘みも良好の優等生。他の栗品種は、育てていて枝にばかり栄養が行ってしまう非効率な感じが拭えませんが、この筑波は同年代の銀寄よりも骨格枝はやや細く、枝よりもイガにきちんと栄養が配分されて、効率よく施肥した栄養が実に行き渡る感じがします。3つ栗にもなりやすい。成るまでの育成期間も銀寄よりも2年ほど短い。剪定も各種OKでどんな剪定でもいずれにせよ成ってくれる。など、いろんな意味で扱いやすい品種と言えます。


ですがそのわりには、ホームセンターなどではあまり売れないのか扱いが目立ちません。平凡すぎるのでしょうかね。いわば安部礼司くん(わかるかな)なんでしょう。


丹波では、後述する銀寄とのペアで植えるのがもっとも基本的なパターンとして推奨されています。また、銀寄とともに剪定を強めに行って、30g以上の大果を中心に得られるようにされる方が多いです。



品種名: 銀寄


大阪府豊能郡歌垣村倉垣(現在の能勢町)原産のでっぷりしたいかにも偉そうな栗です。

形は胴太横長、扁平で、座の接線が墨汁のにじんだような2重線になっているのが特徴。実が詰まった感じで、比重が重めで同サイズの他の品種よりも重たいです。粉質、甘み良好、ほくほく感が特に感じられます。

欠点として、ガの幼虫には被害を受けやすく、渋皮の陥入がしばしばみられ剥きにくさの原因になること、強剪定で大果にしやすいが、そうすると収量は落ちる、

など、ちょっと繊細な面もあります。


いずれにせよ、丹波の主力品種であることにまちがいありません。


歴史~平成19年大阪府ホームページより

○江戸時代中期の宝暦3(1753)年、歌垣村倉垣現能勢町倉垣の人が広島から持ち帰ったくりを植えたところ、そのうちの一本がとても良い実をつけたので、この樹を近隣に増殖させた。

○そして天明・寛政(1781年から1800年)の頃、歌垣村で大干ばつがあり、村人がこのくりを丹波国亀山に出荷したところ、多くの銀札(当時のお金)を得ることができた。以来、 「銀を寄せる」という意味で「銀寄」と呼ばれるようになったといわれている


丹波栗と言えばこれ、といった考えをする方もありますが、能勢の人は丹波じゃないよって思っておられます。兵庫県から京都府(一部大阪府?)にまたがる昔の丹波の国で採れる栗を丹波栗という、というのが公式見解ですが、まあこれ以上あまり突っ込んで考える意義はないかも。


ちなみに、歌垣地区には現在も銀寄の母樹園が現在も地元の方々と能勢栗振興会の方々によって維持管理されて現存しています。古い江戸時代の母樹は比較的最近まで生きていたもののついに枯れてしまって、接ぎ木で保存された母樹がそのあとを引き継いでいると聞いています。(詳細は間違っていたらご指摘下さい)



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